ICF

ICF信仰声明

ICF信仰声明

Statement of faith​

私たちはキリスト教会信仰に基づいています

聖書はわたしたちの信仰と実践の十全な規範である。この信仰声明は、団体の基盤として定められたものである。この信仰声明に用いられている表現は霊感されたものではなく、またそれを主張するものでもないが、ここに掲げられている真理は、全福音の奉仕の務めにとって必須なものと考えられる。これは聖書の真理の全てを包含しているとは言えない。しかし、これらの信仰声明はわたしたちの必要を包含するものである。

私たちは、神は唯一であり、父・子・御霊の三位として永遠に存在し、同じ属性と完全さを所有していると信じる。(創世記1:1、申命記6:4、マタイ28:19、ヨハネ10:30、第二コリント13:14)

イエス・キリスト

私たちは、イエス・キリストが神であると信じる(ヨハネ10:33)。私たちは以下の事柄を信じる:処女からの誕生(イザヤ7:17、マタイ1:23、ルカ1:34-35)、罪を犯さなかった人生(ヘブル4:15、7:26)、奇跡(ヨハネ2:11)、身代わりとして、また贖いとしての死(第一コリント15:3、エペソ1:7、ヘブル2:9)、復活(ヨハネ11:25、第一コリント15:4)、天に上げられて神の右の座に着かれたこと(マルコ16:19)、力と栄光を伴い地に戻ってこられること(使徒1:11、黙示録19:11-16)。

聖霊

私たちは、三位一体の第三位格であられる聖霊が、全てのまことの信仰者の内に住まわれていることを信じる(第一コリント3:16、第二コリント6:16-17)。私たちは、聖霊が全ての信仰者に証印を押し、その内に住み、他の信仰者と霊的に一つとして下さることを信じる(エペソ1:13、第一コリント12:13、ローマ8:9、ガラテヤ3:26-28)。 神に信頼し従順な信仰者として、神の求める生き方を可能とするのが、聖霊であると私たちは信じる。(ローマ8:13-14;第一コリント3:16、6:19-20、エペソ4:30、5:18)。そして神が望まれるように、共同の利益のために、キリストのからだを建てあげる目的で、信仰者に賜物を授け続けて下さっていると信じる(第一コリント12:4-11)。

聖書

私たちは、聖書は言葉によって表された、神の霊感による、原本において誤謬のない絶対に正しい神のことばであると信じる。聖書が、信仰及び生命において最終的な権威を持っていることを私たちは信じる。(第二テモテ3:15-17、第二ペテロ1:20、詩篇19:7-9)

人間の状態

私たちは、人間は神に似るように、神ご自身のかたちに、純潔と罪のない状態に創造されたことを信じる。アダムの罪によって人間は、堕落し、罪の性質を引き継ぎ、霊的に死に、神から離れた存在になった。私たちは、人間が、死滅と堕落した状態から自分自身を救い出すことが出来ないと信じる(創世記1:26、3:1-24、ローマ3:10-18、5:12、エペソ2:1-3)。

キリストのみわざ

私たちは、神の永遠の御子、イエス・キリストがご自身の神性を失うことなく、神ご自身の性質を明らかにするために、また罪人である人間を罪から救うために、人となられたことを信じる。私たちは、キリストがご自分の意志によって、十字架で犠牲として身代わりとなり、神の罪に対する義の裁きを満たすためにご自身を捧げられたことを信じる。私たちの罪に対する神からの唯一の対策は、私たちの代わりにキリストが死んでくださり、それによって神が私たちをご自身と和解させてくださると私たちは信じる(ヨハネ14:6、使徒4:12、第二コリント5:21)。私たちは、イエスが道であり、真理であり、いのちであって、イエスを通してでなければだれも父のみもとに来ることが出来ないと信じる(ヨハネ14:6)。

救い

私たちは、罪の罰からの救いは神の恵みの贈り物であり、如何なる形であっても、行いによってそれを得ることは出来ず、キリストの十字架におけるみわざを一度信じることによってその救いが与えられることを信じる。このようにキリストを信じる者すべては、罪が赦され、聖霊の更生させるみわざによって神の家族に入れられるということを信じる。(ヨハネ3:16-19、ローマ3:23、5:1-9、エペソ2:8-9;テトス3:5)

教会

聖書ではキリストの体と呼ばれている教会が、霊的有機体であり、まことの信仰者一人ひとりがこの体の一員であることを私たちは信じる。更に、共に礼拝し、教えを受け、交わりと奉仕のために召しを受けたキリスト者たちの集まりである地域教会の設立と継続を聖書が肯定していることを信じる。(エペソ1:22、23、第一コリント12:13、使徒2:42、13:1)

永遠の状態

私たちは、死ぬ時に、救いはキリストにあると信じていた人たちのすべての魂が直ちにキリストのご臨在のもとに行き、命の復活の時までそこで待っているということを信じる。私たちは、救いはキリストにあるということを信じなかった人たちの魂が、死ぬ時に直ちに神からの意識的な分離へと入り、不信仰がもたらす永遠の結果である、よみがえる時の有罪判決を待つことになるということを信じる。(ルカ16:19-26、第二コリント5:8、ピリピ1:23、第二テサロニケ1:7-9、黙示録20:11-15)